山中人独語

楽しかった海外旅行のエピソードをつづります。

カテゴリ: 東北四大祭り

                   日本三景松島

3日目、中尊寺を観光した後、山形花笠踊りまでは時間があったので、日本三景の一つ松島を観光しました。
                 松島や
                       ああ松島や
                                松島や

で有名な、あの松島です。
この俳句(?)は松尾芭蕉の作かと思っていましたが、実は江戸時代後期の狂歌師田原坊の作だそうです。
知らなかったあ~!

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この遊覧船で観光しました。

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松島には、260余の島が点在しているそうです。

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今日の天気は、どんよりとしていて、暗い雲が海面まで垂れこめています。

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今日は、松島の絶景が望めません。

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早々に切り上げて、近くの瑞巌寺を見学しました。

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瑞巌寺の総門

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瑞巌寺は、伊達家の菩提寺で、本堂と庫裡が国宝に指定されています。
時間がなかったので、本堂までは行けませんでした。
先に見えるのが本堂です。
 
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参道には慈覚大師円仁像が鎮座しています。

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参道の脇には、岩窟がいくつも口を開けていました。
鎌倉時代から江戸時代にかけて納骨や供養のために掘られたそうです。

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岩窟群

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                   中尊寺の文化財

讃衡蔵(さんこうぞう)は、中尊寺に伝わる文化財・宝物を後世に伝える宝物館として、平成12年に建設されました。
3000点以上の国宝・重要文化財のほとんどが、ここに収蔵されています。

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讃衡蔵内部は撮影禁止だったので「中尊寺を歩く」(中尊寺発行)からコピーしたものを掲載します。
讃衡蔵に入ると正面に3体の丈六仏が安置されています。
中央が阿弥陀如来像(もとは本堂にあった本尊)、右が薬師如来(もとは峯薬師堂にあった本尊)、左が薬師如来(もとは閼伽(あか)堂にあった本尊)です。
像高は266~273.3cm
3体ともに平安時代後期の作とされ、桂材で重要文化財になっています。

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千手観音菩薩立像
桧材の一木造りで、平安時代後期の作とされています。
像高174.2cm

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騎師文殊菩薩・四眷属像(きしもんじゅぼさつ・しけんぞくぞう)
平安時代後期の作で、もともとは経蔵の本尊として安置されていた仏像です。

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一字金輪仏頂尊座像
中尊寺の秘仏で、奥州藤原氏三代秀衡公の念持仏と伝えられています。

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中尊寺讃衡蔵の御朱印

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月見坂
最後に中尊寺讃衡蔵の御朱印をいただいて山を下りました。
 
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その後、麓のレストハウスで精進料理の昼食をとりました。

 
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精進料理

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                      中尊寺

中尊寺本坊表門
薬医門と呼ばれる江戸時代の門

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表門と本堂の間に植えられた松
枝ぶりがなかなかの松です。

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本堂
本堂は中尊寺の中心となる建物で、明治42年に再建されたものだそうです。

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本尊は、像高約2.7mの釈迦如来像
ここに安置されていた本尊釈迦如来は、現在宝物館の讃衡蔵に移されています。

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峯薬師堂
健康・長寿を祈願します。
ここに安置されていた薬師如来も、現在讃衡蔵に移されています。

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鐘楼(しょうろう)
康永2年(1343年)に鋳造された梵鐘が納められています。

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東物見台
水田になっている一帯は、前九年の役(平安時代後期)の舞台となった衣川古戦場で、また、弁慶立往生の地とも伝えられています。
                    夏草や
                          兵どもが
                                  夢の跡
と松尾芭蕉が詠んだ地がここだと伝えられています。

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中尊寺ハス
昭和25年(1950年)、泰衡公首級(打ち取った首)が納められていた首桶からハスの種が採取され、その一粒が発芽し、平成10年(1998年)7月29日に開花したそうです。
800年以上もの眠りから目覚め、開花したことになります。

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                    中尊寺金色堂

中尊寺金色堂は、岩手県平泉町にある世界遺産(2011年登録)です。
嘉祥3年(850年)比叡山延暦寺の高僧慈覚大師円仁によって開かれた天台宗のお寺で、その後、12世紀初め、奥州藤原氏初代清衡公によって大規模な堂塔の造営が行われました。
秀衡公の中尊寺建立の目的は、11世紀後半東北地方で続いた戦乱(前九年、後三年の役)でなくなった生きとし生けるものの霊を敵味方の別なく慰め、「みちのく」といわれ、辺境とされた東北地方に仏国土(仏の教えによる平和な理想社会)を建設することでした。

中尊寺入口に鎮座する地蔵菩薩

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中尊寺表参道(月見坂)
両側に樹齢300年~400年の老木大樹の杉並木が続きます。

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中尊寺境内案内板

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境内は緑一色です。

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奥に進むと、金色堂新覆堂(こんじきどうしんおおいどう)が見えてきます。
この中に金色堂があります。
堂は、永久保存のため、防湿、防虫、防塵の必要から、ガラススクリーンで覆われ、空調設備など、保存環境の整った新しい覆堂で保護されています。

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覆堂内部の金色堂
堂全体が金色に輝いています。
内部は、撮影禁止のため「中尊寺を歩く」(中尊寺発行)からコピーしました。

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須弥壇の上に鎮座する阿弥陀如来、前右に観音菩薩、左に勢至菩薩、左右に3体ずつ地蔵菩薩が縦一列に並び、最前列に持国天(右)と増長天(左)が破邪の形相で立っています。
この仏像構成は、金色堂独特のものだそうです。

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俳人松尾芭蕉の句碑も立っていました。
             五月雨の
                    降り残してや
                              光堂

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金色堂旧覆堂と俳人松尾芭蕉の立像
芭蕉翁は、「奥の細道」紀行の途中で中尊寺に立ち寄っています。
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経蔵
ここに納められていた騎師文殊菩薩・四眷属像は、宝物館讃衡蔵に納められています。
現在は、新しい騎師文殊菩薩・四眷属像が安置されています。
 
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                十和田湖と奥入瀬渓流

青森ねぶた祭を見学した後、十和田湖と田沢湖の中間地点にある八幡平の温泉宿に泊まりました。

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2日目宿の人たちに見送られて9時ごろ出発

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途中で土産物店「りんごの里」に立ち寄りました。

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入り口横に2体の「なまはげ」が立っていました。

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十和田湖
今日は湖面に雲が垂れこめ、どんよりとしています。

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湖岸を乙女像に向かって進みます。

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湖岸に立つ高村光太郎作「乙女像」
ここは観光客でいっぱいでした。

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奥入瀬渓流
十和田湖から流れ出ている渓流です。
十和田湖の子の口から焼山まで、14kmの流れが続きます。
夏の避暑にはもってこいの場所です。

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休憩所の近くに石ケ戸という場所があります。
大きな一枚岩が、木に寄りかかっています。
この石ケ戸には、ある伝説が伝えられています。

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伝説を記した立て看板

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水しぶきをあげながら流れる渓流

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渓流には、いくつかの滝も見られます。

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十和田湖の近くで「きりたんぽ鍋」の昼食をとりました。

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