山中人独語

楽しかった海外旅行のエピソードをつづります。

カテゴリ: シェムリアップ(カンボジア)

                     トンレサップ湖2

湖上の休憩所に立ち寄ります。

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すでに何隻もの船が到着しています。

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目の前にも休憩所が見えます。

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ここにも休憩所らしきものが・・・!
湖上の家屋から出る汚染水は、すべて垂れ流しだそうです。
自然に浄化できるのでしょうか・・・?

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観光客を乗せて行き来する船

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屋上に上がって周囲を眺める観光客・・・!
ほとんど中国人です。

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休憩所には仏さまが祀られていました。

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ワニも飼育されています。
観光用なのかなあ・・・?
それとも、食用のためかなあ・・・?

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その日は曇っていて、結局夕陽鑑賞はあきらめました。
また、船に乗ってシェムリアップに帰ります。

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休憩所には、まだ、大勢の観光客が残っていました。

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湖畔に立ち並ぶ家屋
その前で子供たちが水浴びをしていました。

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                     トンレサップ湖

トンレサップ湖はカンボジア中央部に位置し、東南アジア最大の湖だそうです。
クメール語で巨大な淡水湖(サップ)と川(トンレ)という意味があるそうである。

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小型船に乗って湖に出ます。

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トンレサップ湖は泥の湖です。
水の中の視界は0でしょう?

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少し大きな船が岸につながれています。

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岸には簡素な小屋も見えます。

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倉庫か売店のような家屋も浮かんでいます。

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私たちと同じように、トンレサップ湖見学に出かける観光客を乗せた船が何隻も走っています。

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湖上に浮かぶ家屋が見えてきました。

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湖上に浮かぶ学校だそうです。
授業が終わっていたのか、子どもたちはいませんでした。

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                   ベンメリア遺跡2

ベンメリア遺跡は、アンコール・ワット建造前の11世紀末~12世紀初頭(日本の平安時代)の造営と推測されています。
遺跡の地図
広大な寺院です。

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崩壊した遺跡
修復には膨大な時間と資金が必要なようです。

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足場が悪いところは見学通路ができています。

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見学通路を通って見学します。

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木の根が遺跡を斜めに横切っています。

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精巧な飾りが施されています。

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寺院の入口が塞がれています。


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通り抜けられる場所もあります。
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建物が木に侵食されています。
長い年月忘れ去られていたことがわかります。

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木に侵食されてしまった建物

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木に侵食されてしまった建物
「天空の城ラピュタ」のモチーフとなったされる第3回廊の遺跡です。

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                    ベンメリア遺跡

遺跡の入口に到着しました。

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一対の大蛇が迎えてくれます。

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崩壊した遺跡が見えてきました。

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崩壊した遺跡
まだ手付かずの状態です。

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崩壊した遺跡に大樹が根を張っています。

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ベンメリア寺院の一部です。

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ベンメリア寺院の一部です。
木の根が絡みついています。

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仏像の彫刻が施されています。

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奥には象に乗った仏様の像が彫られています。

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                       アンコール・ワット2

アンコール・ワットに入ります。

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階段を上がって行きます。

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内部は回廊になっています。

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中央に一段低くなったところがあります。
貯水槽になっていたところだそうです。

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途中、祭壇があり、お坊さんが念仏を唱えるわけでもなく座っている場所がありました。
どうしてここに祭壇が設けられているのかわかりません。

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十字回廊の柱の一つに日本人の落書きがありました。
ポルポト政権時代に一度消されたため、今ではよく読めません。

江戸時代前期(嘉永9年・1632年)の平戸藩士、森本右近太夫一房の落書きだそうです。
当時、仏教の聖地「祇園精舎」は、ここカンボジアにあると信じられていたそうで、篤い仏教徒だった一房は、父親の菩提を弔iい、年老いた母の後生を祈念するため、遥か南シナ海を越えて、ここにたどり着いたそうです。

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ガイドブックによると・・・
寛永九年正月初めここに来る
生国は日本
肥州の住人 藤原の朝臣森本右近太夫一房
御堂を志し 数千里の海上を渡り
一念を念じ  世々娑婆浮世の思いを清めるために
ここに仏四体を奉ずるものなり
と書かれていたそうです。

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いくつもの尖塔が立っています。

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立って登れそうにない急な階段です。

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上階に行くには、ここから登ります。
登りやすいように、木の階段が取り付けてあります。
それでも急です。
健脚でないと登れません。

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上階の貯水槽と尖塔

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