山中人独語

楽しかった海外旅行のエピソードをつづります。

2012年04月

旅4日目。敦煌2(敦煌博物館と白馬塔)
11時過ぎに敦煌市内に到着。
敦煌市内の中心。
琵琶を弾く飛天像が立っている。
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最初に見学したのは、敦煌博物館。
敦煌地域全体の変遷を、先史時代から時代順に展示している。
館内は撮影禁止。残念!
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12時を過ぎたので昼食をとる。
勿論、中華料理。
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昼食を食べた後、白馬塔へ向かう途中の景色。
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白馬塔の入口
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白馬塔(はくばとう)
前秦の将軍呂光(ろこう)が、討伐の帰路、伴っていた仏教経典の翻訳で知られる鳩摩羅什(くまらじゅう)の愛馬が病死したため、その供養のために建てたと言われている塔。
建立された正確な年代は不明。
19世紀半ばに改築された跡があるという。
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築地(ついじ)の壁画
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旅4日目。敦煌(とんこう)1(敦煌駅から敦煌市内へ)
トルファン駅を夜の10時ごろ出て、朝8時ごろ敦煌駅に到着。
トルファン駅の写真は1枚もなし。
写真を撮ろうと、カメラを出したら、現地ガイドKさんから、撮らないように注意された。公安警察がうるさいとのこと。
次の日、寝台列車のカーテンを開けると、夜が明け始めていた。
寝台列車の個室は、4人部屋(一等車)。上に2つ、下に2つ、計4個のベッドがある。
若い人(体力のある人)が上。お年寄りが下。体力がないと上のベッドへは登れません。
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敦煌駅に着く前に、スーツケースを廊下に並べる。
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外は荒涼としたゴビ砂漠。
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朝8時ごろ敦煌駅に着く。
市内には、もう一つ敦煌駅があるが、そこには寝台夜行列車は行かない。
この郊外の駅で降りる。
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駅前の食堂で朝食をとる。
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敦煌市内へ向けてバスで移動。
道路は整備されておらず、凸凹道。
途中、休憩所がないため、原野でトイレ休憩。男性はバスの左、女性はバスの右に分かれて用を足す(実際に用を足したのは、男性だけ。女性は、次のトイレのある休憩所まで我慢)。爽快な気分。
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耕作地が見えてきた。市内に近づいたのか?
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3時間ほどかかって、敦煌市内に着く。
市内にはタクシーがやたらと多い。
敦煌は観光の街。人口の8割ほどが、観光業だそうである。
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旅3日目。トルファン8(高昌故城)
歴史的には、漢の武帝が置いた郡が独立して高昌国(こうしょうこく)となったという。
唐代になると西域経営の中心地となり国際商業都市として栄えたところ。
高昌故城へは、ロバ車に乗って向かう。前方が高昌故城。
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雄大な景色の中をロバ車で行く。
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 城の中心にある仏教講堂。
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 玄奘三蔵も旅の途中で立ち寄り、仏教について講和したという。
その部屋。
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 土を固めて造った城壁の跡。
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見学した後、また、ロバ車で駐車場へ。
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夕食は、新疆名物、ラグ麺とトルファン料理。
夕食を食べた後、夜行列車で敦煌へ向かう。
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旅3日目。トルファン7(アスターナ古墳)
ベゼクリク千仏洞を見学した後、アスターナ古墳群へ向かう。
この古墳群は、6~7世紀に繁栄した高昌国(こうしょうこく)時代の貴族の古墳群だとか。
アスターナ古墳群の入口。立派な門構え。
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中に入ると、いくつものこんもりと盛り上がった土饅頭のようなものが見える。これが墓。その数数百。
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発掘された古墳の内部へはいる階段。古墳の中は、撮影禁止。残念!
内部には、当時の生活がわかる壁画が保存されている。
墓の中からは、絹織物、文書、陶器、当時の貨幣、墓の主のミイラなどが発見されているが、それらは、トルファン博物館に展示されているとのこと。  
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上半身人間、下半身蛇の立像とそれを守る動物の立像。墓の守り神か?
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旅3日目。トルファン6(火焔山とベゼクリク千仏洞)
いよいよ「西遊記」で有名になった火焔山(かえんざん)に向かう。
トルファンの市街地を抜けると、また、ゴビ砂漠となる。がれきだけでなにもない。そこに一直線の道路。
この先に、山はあるのだろうか?
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2時間ほど走ったところで、山が見えてきた。これが火焔山か?火焔山は、トルファン盆地の北端約100キロにわたって連なる山脈。
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富士山のようにきれいな砂山(美女の乳房というとか)もあるぞ~!玄奘三蔵は、7世紀の初め、ここを通って天竺(てんじく)へ向かったという。苦労が偲ばれる。
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まさしく赤い山、火焔山だ!陽に照らされ赤く染まっている。山が赤いのは、鉄分が多く含まれているからだとか。
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少し車を走らせ、ベゼクリク千仏洞へ向かう。ベゼクリク千仏洞は、天山山脈を水源とするムルトク河の西岸絶壁に掘られた仏教の窟(くつ)である。ムルトク河へ降りていく。
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と、そこに突如、ベゼクリク千仏洞が姿を現す。
絶景。感動!
千仏洞は、南北約400メートル、窟の数57、ウイグル族によって開かれた仏教遺跡。内部は撮影禁止。残念!
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外側だけを写真に収める。右下が、ムルトク河。窟の内部は、暗いので懐中電灯をつけてみる。懐中電灯は必需品。仏像や仏教壁画がよく保存されている。日本とのつながりを想う。緑があるのは、この河の周囲だけ。
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