山中人独語

楽しかった海外旅行のエピソードをつづります。

2012年07月

ローマ8
カンピドリオ広場
カンピドリオの丘に造られたミケランジェロ設計の広場
広場を囲むように市庁舎、美術館、博物館が建っている。
 
カンピドリオ広場へ登る階段
正面に市庁舎、右にコンセルヴァトーリ博物館、左にカピトリーノ美術館が建っている。
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ミケランジェロ設計のカンピドリオ広場
広場には、幾何学模様が施されている。
奥の建物がローマ市庁舎
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広場の中央にあるマルクス・アウレリウス帝の騎馬像
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カンピドリオの丘からは、フォロ・ロマーノを見ることができる。
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カンピドリオの丘からは、カピトリーニ美術館やヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂の一部も見える。
記念堂は、カンピドリオ広場に背を向けて建っている。
記念堂の先がヴェネツィア広場
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カンピドリオの丘からは、かって女優ソフィア・ローレンが住んでいたアパートも見ることができる。
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カンピドリオ広場を後にする。
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ローマ7
真実の口
「ローマの休日」でグレゴリーペックが、「真実の口」に手を入れ、手を抜くと、手首がなくなっているという悪戯をする場面があるが、その場面が撮影されたのが、サンタ・マリア・コスメディン教会の「真実の口」である。
 
サンタ・マリア・コスメディン教会
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教会内部
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「真実の口」はもとは、マンホールの蓋だったらしい。
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この「真実の口」は、三越ローマ支店にある偽物の「真実の口」
本物を見れなかった人が、よくここで写っていくそうである。
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教会の近くには、古代ローマ時代の遺跡もある。
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古代ローマ時代の遺跡
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ローマ6
フォロ・ロマーノ
フォロ・ロマーノは、首都ローマに残る古代ローマの中心地の遺跡
カピトリーノの丘とパラティーノの丘の間にある低地で、古代ローマ1000年の歴史を通して、政治・司法・宗教・商業の中心地だったところ。
ローマ帝国が東西に分裂し、首都機能がラヴェンナに移されると異民族の略奪にさらされるようになり、西ローマ帝国滅亡後は打ち捨てられ、土砂の下に埋もれてしまった。
19世紀になって、ようやく発掘が本格的に行われるようになったが、帝政時代初期までに開発が繰り返されており、遺構も様々な時代のものが混在しているので、発掘調査は難しいといわれている。
現在の遺跡は、大部分が帝政時代以降のもの。
 
 フォロ・ロマーノ
フォロとは、フォーラム(広場)のこと。
取引や話し合いの場所としてにぎわったところ。
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アントニヌスとファウスティナの神殿。
アントニヌスが2世紀半ばに建て、その後妻とともに祀られた神殿。
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 中央の門は、セプティミウス・セヴェレス帝の凱旋門。
その後ろの小高い丘(カピトリーノの丘)に建つ茶色の建物は、パラツォ・セナトリオ(現在のローマ市庁舎)
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茶色の四角い建物は、クーリア(現在の国会議事堂にあたる建物)。
元老院による数多くの決定がなされた場所。
「ブルータスお前もか!」で有名な台詞(せりふ)を残しカエサルが暗殺されたのは、この建物の前だったといわれている。
建物自体は、基底部と史料により、20世紀に再建されたもの。 
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 左奥に見えるのが、アントニヌスとファウスティナの神殿。
左側の柱は、フォーカ帝の記念柱。
聖なる道が一直線にセプティミウス・セヴェルス帝の凱旋門に続いている。
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 市庁舎側から見たフォロ・ロマーノ。
イオニア式の8本の柱の遺構は、サトゥルヌス神殿の跡。
右奥のコリント式の3本の柱の遺構は、ヴェスパミアヌス神殿(かまどの女神)の跡。
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ローマ5
コロッセオ
コロッセオは、紀元72年のウェスパシアヌス帝時代に建設され始め、80年の息子ティトゥス帝の時代に完成した。
高さ57mの4階建て円形競技場で、現代の17階建てビルに匹敵するという。
古代ローマを象徴する建造物で、約5万人の観客席があり、6世紀前半まで使用されていた。
地下には、猛獣(ライオンやトラなど)の檻があり、捕虜や奴隷の中から選ばれた剣闘士と猛獣との冷酷な対決も行われた。
 
コロッセオ全景
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近づくと巨大で全景が撮れない。
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コロッセオ
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1階の通路部分
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競技場
地下の部分には、猛獣が飼われていた。
剣闘士との戦いのときには、地上に猛獣を昇降機を使ってせり上げていた。
現在は床が抜けている状態。
ティトゥス帝は、コロッセオが完成すると、100日間も命を懸けた競技会を開催し、ローマ市民を喜ばせたという。
しかし、その競技会で、2000人の剣闘士と5000頭の猛獣が命を落としたと伝えられている。
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1階が皇帝や元老院席、2階が騎士階級、3階が庶民席、4階がローマ市民権を持たない人の立見席となっていた。
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観客席には屋根もついていた。
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この地下で猛獣(ライオンやトラなど)が飼われていた。
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ローマ4
スペイン広場とスペイン階段
近くにあるスペイン大使館にちなんでこの名がついた。
もともとは、フランス外交官の寄付によって造られたもの。
この広場には、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ作「パルカッチャの噴水」がある。
広場の後方には、スペイン階段がある。
正式名称は「トリニタ・ディ・モンティ階段」といい、モンティ教会への入口である。
この階段は、「ローマの休日」でオードりー・ヘプバーン扮するアン王女が、ジェラートを食べるシーンで有名となった。
 
夕暮れのスペイン階段とトリニタ・ディ・モンティ教会
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スペイン階段とトリニタ・ディ・モンティ教会
現在は、ここでジェラートを食べることは、法律で禁止されている。
そういえば、誰も食べてないなあ~!
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ベルニーニ作「バルカッチャの噴水」
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スペイン広場とコンドッティー通り
この通りには、高級店が立ち並んでいる。
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階段の中腹からスペイン広場とコンドッティー通りを望む。
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階段の上方からスペイン広場とコンドッティー通りを望む。
明かりがともり、何とも言えない雰囲気が漂う。
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