山中人独語

楽しかった海外旅行のエピソードをつづります。

2013年05月

                     バチカン
バチカン聖堂
カトリック教会の総本山

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                  カンピドリオ広場
ミケランジェロ設計
広場に立つのは、マルクス・アウレリウス帝の騎馬像
幾何学模様がとても斬新な広場

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女優ソフィア・ローレンが住んでいたアパート
ミケランジェロ広場近くにある。

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パンテオン近くのカフェ

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              サンタ・マリア・コスメディン教会
「真実の口」が置かれている。
小さな教会である。

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                     真実の口
「ローマの休日」で有名になった「真実の口」
古代ローマ時代の下水溝の蓋(ふた)だとか?

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                       元老院
カエサルが暗殺された元老院の復元建物
イメージとは、全く違う。

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                    ナボーナ広場
夕闇に包まれたナボーナ広場
クリスマスを控え、市がたっていた。

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クリスマス飾りが所狭しと並んでいる。

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クリスマスの飾り物がいっぱい・・・!

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                     フォロ・ロマーノ
フォロとは、広場の意味
カピトリーノの丘とパラティーノの丘の間の低地にあり、古代ローマ千年の歴史を通して、政治・司法・宗教・商業の中心地だった。
「ブルータスお前もか?」で有名となったカエサルが暗殺された元老院もこの場所にある。

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                    コロッセオ
紀元72年のウェスパシアヌス帝の」時代に建設が開始され、80年の息子ティトゥス帝の時代に完成した闘技場
ここでは、剣闘士と猛獣の死闘が行われ、ローマ市民が熱狂した。
当時、5万人を収容できたそうである。

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                   トレビの泉
ローマにある最も巨大なバロック時代の噴水
元々は、ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスが建設したものを、18世紀にポーリ宮殿の壁と一体となったデザイン(現在の形)に改築した。
中央に水を司る海神ポセイドン、左に豊穣の女神ケレース、右に健康の女神サルースが配されている。
ローマの有名な観光名所の一つ。
後ろを向いてコインを投げると、再びローマを訪れることができるという言い伝えあり。

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                   スペイン階段
近くにあるスペイン大使館にちなんでこの名がつけられた。
この階段は、オードリー・ヘップバーン扮するアン王女が、ジェラートを食べるシーンで有名になった。

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                    カラカラ浴場
212年から216年のカラカラ帝の時代に造られた浴場
公立図書館の付属施設として造られ、温室、冷室、熱室や今でいうジムのようなものまであったという。
2千年近くたった今でも床のタイルがそのまま残っている。

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                    パンテオン
ローマのフォロロマーノ地区、パラティヌスの丘にあるローマ神殿
古代ローマ時代の建築資産の代表格
紀元前25年、ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの側近アグリッパによって建造されたローマの神々を祀る神殿

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                      ポンペイ
ポンペイは、ナポリの南東23kmに位置する紀元前8世紀に建設された商業都市
しかし、79年のヴェスヴィオ火山の大噴火によって地中に埋もれ、忘れ去られてしまった。
ところが、今から270年前の1748年、1700年ぶりに時のナポリ王カルロ7世によって発掘され、当時の街が、遺跡としてよみがえった。
現在、世界遺産に登録されている。
遺跡の入口

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道路~歩道と車道に分かれてる。

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石の横断歩道もあった。

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道路に残る轍(わだち)の跡 

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フォーロ(公共広場)の列柱

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居酒屋の釜戸跡
よく残っているなあ・・・!

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パン屋の釜跡

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サウナ風呂跡

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貴族の館(やかた)跡に残る床のタイル

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貴族の館跡に残る水盤
当時は、中央から水が噴き出していた。

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噴火によって焼死したポンペイ市民
空洞になったところに石膏を流し込んで造られたとか。

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噴火で一瞬にして焼死した犬

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                    シエナ

シエナは、トスカーナの丘陵地帯にある、人口5万人の小さな町。
13世紀から14世紀のたたずまいを今も残す中世の町である。
ルネサンス期には、芸術の中心地となったこともある。
毎年、7月2日と8月16日には、カンポ広場で裸馬競馬が開催される。
夕暮れのなかにたたずむシエナ大聖堂(中央)

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饗庭孝男(あえばたかお)著「シエナ幻想」(40年前)を読んで以来、一度は訪れてみたいと夢見ていた町
今そこに立っている。
足の震える思いだった。
広場を囲んで、狭い道が続く。

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狭い道の両側に高い家が立ち並んでいる。
丘の頂上に肩を寄せ合って建っているという感じである。
なぜ、谷間ではなく丘だったのか?
1つには、防衛のため、2つには、ペストから身を守るため、といわれている。

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どこまでも続く路地

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                   シエナ大聖堂
紺と白の大理石の対比が実に美しい。
イスラム文化の影響を受けたゴシック建築の代表
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ほどなくして、狭い道の間からカンポ広場が見えてきた。

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                    カンポ広場
世界で最も美しい広場の一つと言われている。
広場は、すり鉢状の扇型になっており、その一番低いところにプブリコ宮殿と鐘楼(マンジャの塔)が建っている。

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扇の要にプブリコ宮殿とマンジャの塔があり、扇の円周上にプブリコ宮殿とマンジャの塔を見下ろすように建物が建っている。
カンポ広場に腰を下ろせば、自然とプブリコ宮殿とマンジャの塔を見ることになる。

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夕闇がせまり、カンポ広場を囲む土産物店やカフェの灯りがついてきた。
この広場にずっと座っていたい気持ちに誘われる。

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                     ピ サ

ピサは、地中海に面した港町
11世紀から13世紀にかけ、東方との交易で巨万の富を築いたイタリア中世の都市国家
手前から、ピサの洗礼堂、大聖堂、斜めに傾いているのが鐘楼(斜塔)

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                   大聖堂と斜塔
ピサは、この鐘楼が傾いていなければ、世に知られることはなかったかもしれない。

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大聖堂正面

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大聖堂内部

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大聖堂と鐘楼
鐘楼が傾いているのがわかる。
16世紀末に、ピサ大学の数学教授であったガリレオ・ガリレイが「落体の法則」実験を、この斜塔で行った。

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                     ピサの斜塔
1173年から鐘楼建設が始まったが、途中で地盤沈下し始め傾く。
しかし、そのまま造り続けられ1350年に完成した。
途中からは、傾きをできるだけ抑えるために少し上へ曲げて造られている。
したがって、斜めにまっすぐではなく、途中から曲げて建てられている。

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斜塔と大聖堂
青空を背景に、くっきりと浮かび上がる。

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