2015年07月31日 バルト3国とフィンランドの旅60 シャウレイ(リトアニア)→リーガ(ラトビア) シャウレイの十字架の丘を見学した後、国境を越えてラトビアの首都リーガへ向かいました。 約2時間のバスの旅です。 湖が見えます。 川を渡ります。 遠くにリーガの街が見えています。 リーガ旧市街が見えてきました。 列車が通ります。 午後7時30分ごろホテルに着きました。 午後8時過ぎ、ホテルでバイキングの夕食をとりました。 タグ :#ヨーロッパ
2015年07月30日 バルト3国とフィンランドの旅59 シャウレイ(リトアニア) 十字架の丘 駐車場から歩いて十字架の丘に向かいます。 十字架の丘は、草原の中にポツンとあります。 いろいろな十字架が立ち並んでいます。 高さ5m以上の十字架から鈴なりに掛けられたロザリオまで、その数はリトアニアの人口よりも多いといわれています。 キリストの彫像もあります。 キリストの彫像 最初の十字架は、1831年ロシアに対する蜂起後、処刑や流刑にされた人々の鎮魂のために立てられたそうです。 その後、十字架の丘は、抑圧された民族、宗教の象徴となりました。 ソ連時代、この丘は禁域とされ、KGBとソ連軍はブルドーザーを使って何度も十字架をなぎ倒し、焼き払ったそうですが、そのつど、人々は夜陰に紛れて新たな十字架を立てたそうです。 そのため、旧ソ連は川をせき止めてこの丘を水没させる計画や発掘調査と称して丘を壊してしまう計画をリトアニア当局に命じたそうですが、当時のリトアニア当局は、この丘を壊すことをためらったそうです。 マロニエの花と十字架 丘の頂上から見た風景 近年、十字架の丘は益々拡大しているそうです。 うず高く積まれた十字架 奉納されたコイン ソ連時代のリトアニアの人々に思いをはせながら十字架の丘を後にしました。 草原は、たんぽぽの綿毛でいっぱいでした。 タグ :#ヨーロッパ
2015年07月29日 バルト3国とフィンランドの旅58 カウナス(リトアニア)→シャウレイ(リトアニア) カウナス→シャウレイ間は約140km、2時間のバスの旅です。 緑の草原が続きます。 途中、道路沿いに墓地もありました。 立体交差のところもありました。 信号機の代わりにロータリー型の交差点もありました。 バルト3国は、このロータリー型交差点が多いように思いました。 途中、住宅地を通りました。 小川のほとりも通りました。 一面菜の花畑のところも通りました。 遠くに小さな村が見えました。 住宅地を通りました。 ロータリー型交差点を通りました。 信号機がないので止まらなくていいです。 大きな湖もありました。 シャウレイに入りました。 タグ :#ヨーロッパ
2015年07月28日 バルト3国とフィンランドの旅57 カウナス(リトアニア)7 旧市街5 カウナス城を見学した後、近くの昼食会場に向かいました。 壁に面白いアートが・・・ カウナス城近くのレストラン レストランに入ります。 パン 前菜 メイン料理(ツェペリナイ~ジャガイモ団子) デザート 昼食をとった後、「十字架の丘」があるシャウレイに向かいます。 2時間のバスの旅です。 タグ :#ヨーロッパ
2015年07月27日 バルト3国とフィンランドの旅56 カウナス(リトアニア)6 旧市街4 ベルナルディン修道院(右手)と主教座ゲストハウス(奥) 旧市庁舎の東側にあります。 ベルナルディン修道院 ベルナルディン修道院(女性用) ベルナルディン修道院(男性用) 十字架のトーテンポール 聖ゲオルギ教会 聖ゲオルギ教会 旧ソ連時代は倉庫として使われ、最近やっと修復が始まったそうです。 教会内部 カウナス城 13世紀、ドイツ騎士団の侵略を防ぐために造られた城 1363年、ドイツ騎士団に占領されて破壊され、15世紀、ヴィタウタス大公によって再建されたそうです。 騎士団との戦いに勝利した後は、城としての重要性を失い、外賓を接客する場として使われたそうです。 城はもともと台形の城壁に4つの塔を持っていましたが、現在残っているのは、修復された塔と城壁の一部だけです。 結婚式を終えた新郎新婦が歩いています。 タグ :#ヨーロッパ