山中人独語

楽しかった海外旅行のエピソードをつづります。

カテゴリ: インド紀行

                       ファテープル・シークリー(世界遺産)

ムガール帝国が最盛期へと向かう16世紀後半、第3代皇帝アクバルは、跡継ぎに恵まれず悩んでいた。
そんな時、シークリーに住むイスラム教の聖人、シェイク・サリーム・チシュティーが、皇帝は3人の息子を授かるであろうと、予言する。
実際、後にジャハンギールという息子が誕生する。
これにちなんで、アクバル帝は、小さな村でしかなかったシークリーへ都を移転させた。
これがファテープル・シークリーである。
しかし、水不足と猛暑により、14年でこの都は、放棄された。
下は、パンチ・マハール
最上階のドームに向かって4つの階が重なる5重の塔。
176本の柱を使った不思議な様式は、ペルシャの建築をモデルにしたものだといわれている。

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ディワニ・カース
ファテープル・シークリーで最も優美な建物。
別名「宝石の家」とも呼ばれている。
内部には、皇帝の玉座がある。

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クワーブ・ガー
池の奥に建つ建物は、アクバル帝の仕事部屋。
また、一部は、皇帝の寝室として使われ、皇帝が個人的な時間を過ごした場所。

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クワーブ・ガーから見たパンチ・マハールとディワニ・カース。

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ジョダ・バイ宮殿
アクバル帝とその妻たちが住んだ宮殿。
皇帝には、ヒンズー教徒のジョダ・バイのほか、イスラム教徒とキリスト教徒の妻がいた。
この宮殿には、中庭を囲むように3人の部屋が造られている。
皇帝は、このジョダ・バイ宮殿とクワーブ・がーとを毎日行き来したという。

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                                     アグラ城(世界遺産)

アグラ城は、1656年から10年の歳月をかけ、ムガール帝国第3代皇帝のアクバルによって建てられた、堅固な要塞である。
高さ20mを誇る赤砂岩の城壁に囲まれ、その壁は、2,5kmにわたって続いている。

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アマル・シン・ゲート
城の南側の門

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頑丈な造りで、敵を寄せ付けない迫力がある。

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ジャハンギール宮殿
アクバル帝が、息子のジャハンギールのために建てた宮殿
左右相称の優美な建物

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アグラ城からは、タージ・マハールが見える。
タージ・マハールは、シャージャハーン皇帝が、愛妃ムムタズ・マハールの死に対して捧げた霊廟

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ムサンマン・ブルジュ
シャー・ジャハーン帝が愛妃ムムタズ・マハールのために建てた八角の塔。
ジャスミンタワーとも呼ばれている。 

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室内には、当時としては珍しい噴水も備わっている。
晩年は、シャー・ジャハーン皇帝本人が息子(アウラングゼーブ帝)によって、ここに幽閉され、74歳の生涯を閉じることになる。
シャー・ジャハーン帝は、現在、タージ・マハールに愛妃ムムタズ・マハールとともに眠っている。

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                              ジャンタル・マンタル(世界遺産)

天文学者でもあった皇帝サワーイ・ジャイ・スィン2世が、1728年に建造した天文観測所。
全部で16の観測儀があり、時刻や太陽の高さ、星座の位置、日の出日の入りの太陽の位置などを観測できる。
1901年に修復が行われ、現在も観測が続けられている。
サムラート・ヤントラ
2秒単位で正確な時刻を計測できる。 

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ナディヴァラヤ・ヤントラ 
春分、秋分、夏至、冬至を計測する観測儀

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 ジャイ・プラカーシュ・ヤントラ
地中に窪んだ半球状の計測儀
他の計測儀のデータを補足する計測儀
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                                     ハワー・マハール(風の宮殿)
 
姿を見られることを禁じられていた宮廷女性のために、1799年皇帝サワーイ・プラタップ・スィンが建てた宮殿
5階建ての正面部分は、奥行のない小部屋に区切られていて、どの方角からでも風が入るように工夫されている。
宮廷女性たちは、ここから祝祭の行列や、日常の活気あふれる街の様子を眺めたという。
入口は、建物裏手の細い路地にある。

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                                          アンベール城 

 アンベール城は、16世紀初頭に皇帝マン・スィンによって建設が開始され、その後、歴代の皇帝によって増改築が繰り返され、17世紀のジャイ・スィン1世の時代にほぼ現在の姿になったといわrている。
丘の斜面に築かれた城は、高低差によってスペースが区切られており、低層は公的なエリア、高層は皇帝の私的空間となっている。

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低層部広場の象タクシー乗り場

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 ガネーシャ門
緻密なフレスコ画がすばらしい。
これから先が、皇帝のプライベート空間となる。

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皇帝のプライベート空間
右側の建物が、皇帝の私室
私室の両側に王妃の部屋が並ぶ。

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                                          シティ・パレス

チャンドラ・マハール(皇帝の住居)
内部は、非公開
クジャクやハスをモチーフにした4つの門が、中庭の両側にある。

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ムバラク・マハール(旧レセプションセンター)
現在は、皇帝の衣装などを展示する博物館となっている。

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ディワニ・カース(貴賓謁見の間)
銀の壺が入口の左右に置かれている。

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銀の壺 
1902年皇帝が英国を訪問した際、毎日の沐浴のためにガンジス河の水を入れて持って行ったものだという。
高さ160cm、容量900ℓの壺は、世界最大の銀製品としてギネスブックに登録されている。

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サブハ・ニワス
歴代皇帝の肖像画が並ぶギャラリーとなっている。

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皇帝末裔(まつえい)の住居
現在も皇帝一族が居住しており、その一部を博物館として公開しているのである。
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クトゥブ・ミナールと複合建築群

奴隷王朝からハルジー王朝へかけての歴史的建築が残るインド最古のイスラム遺跡群。
クトゥブ・ミナールは、72.5mのインドで最も高い尖塔。
アイバクとその後継者の王によって、1368年に造られた。

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アイバクが周辺に建っていたヒンズー教寺院を壊し、その建材をそのまま使って建てた。
そのため、柱のデザインは、すべて異なっている。

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遺跡の一部
表面のレンガが剥げ落ちている。

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                                         フマユーン廟

ムガール帝国第2代皇帝フマユーンの霊廟
9年の歳月をかけて1565年に完成した。
下は、西門

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西門から見たフマユーン廟

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左右相称の建物
前庭には、中央に噴水がある。
赤砂岩と白大理石のコントラストが見事
赤砂岩、白大理石、噴水・・・インド建築の特徴だろうか?

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                               ラール・キラー(赤い城)

ムガール帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、要塞として建てさせた城
赤砂岩でできているため、ラール(赤い)キラー(城)といわれている。
1648年に完成した。
中央の9つの大理石のドームは、この城が9年かかって完成したことを表している。

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英国統治時代には軍事施設となり、1857年のセポイの反乱以降は、インド軍が兵舎などの目的で使用した。

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広大の敷地を有する城である。

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タージ・マハール(インドの世界遺産)

タージ・マハールは、インドが誇る世界遺産の一つ
ムガール帝国の第5代皇帝シャー・ジャハーンが、最愛の妻ムムタズ・マハールの死に対して捧げた霊廟
22年という歳月をかけて、1643年に完成した白大理石の霊廟は、病的なまでにシンメトリックに造られている。
現在、皇帝と妃は、この霊廟内に静かに眠っている。
タージ・マハールの正門

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正門から見たタージ・マハール

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門を抜けると目の前にタージ・マハールが・・・

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真正面から見たタージマハール
 
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建物は、左右相称である。
 
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水路とタージマハール
 
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右斜め前から見たタージマハール
 
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池に写るタージマハール
 
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タージマハールに入る通路
 
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四隅の塔の一つ
 
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タージマハールへ入る通路
履き物を脱いで、入ります。
 
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中央の建物は、迎賓館として使われていた。

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左の建物は、モスクとして使われていた。

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正面広場

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下から塔を見上げるとこう見えます。
 
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霊廟内への入口
内部は撮影禁止

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霊廟から正門を望む。

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